棚守房顕覚書130 正月の席争のこと(2)

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棚守房顕覚書130 正月の席争のこと(2)

座主のことは天正3年10月から帰島していません。年が明けて寅年(天正6年…1578年?)に万部経(=万のお経を読む儀式)をするついでに帰島しました。

社家3人衆を改めるべきとの由がありまして、仰られたのですが、上卿の儀を桂土佐守(?)から愁訴(願い訴えること)し、穂井田元清(毛利元就の子供)へ申しました。神慮(=神の意志)で棚守が見参して、今は社役などのお勤めましたので、役人佐武も早々に帰島しました。当時は社家も相当無きことのみ?ですが、棚守は社奉行なので多々とは申し付けませんでした。

大聖院の座主が宮島不在

大聖院座主は吉田からかなり長期間、宮島に帰らなかったようです。棚守の記述がボヤっとしているのですが、年をまたいで帰っていないのは間違いないです。宮島は宗教の島ですから、宗教関係者である座主が宮島に不在というのは相当な大事件のはずです。

座主は宮島で万部経を行う時に、さすがに帰った。万部経は国家の安寧を願う儀式ですから、毛利が座主を宮島に帰すキッカケとして行ったなんて理由もあったのかもしれないですね。
んで、ついにはあんまりに揉めるものだから、社家を改める…つまり人事異動してクビにしてしまおうとしたのですが、そこは上卿が手を回してどうにか事なきを得た。しかし、結局、棚守が社役に戻って解決というか沈静化した。棚守は神社の裁判を行う「社奉行」だから、社家は色々と思うところがあっても何にも言えなかったようですね。

しかし、「神慮」によって棚守が見参したという記述はアレですね。棚守はもはやほとんど「神」じゃないですか。
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