棚守房顕覚書123 大湯再興のこと

MENU
TOP >> 棚守房顕覚書(資料) >> 棚守房顕覚書123 大湯再興のこと棚守房顕覚書(資料) 資料
スポンサードリンク

棚守房顕覚書123 大湯再興のこと

大湯屋の大風呂というのがありまして、社家衆の行水の風呂です。永享(1429年から1440年)ごろまであったのですが、150、160年ばかり断絶している経緯を申し上げまして、それで永禄6年(1563年)7月7日、上より(風呂を)炊き始めまして、供僧・社家とこの風呂について前後(の順番)で争いがあり、一両年ほど風呂を炊きませんでした。

大湯屋の大風呂

宮島には「大湯屋の大風呂」というのがあったらしい。空海由来の「石風呂(石風呂跡)」のことじゃないかな?とも思ったんですが、それとは違う別の「大風呂」というのがあったらしい。

ここでいう風呂というのは、普通は現在の湯船とは違って、蒸し風呂のことなんですが、ここでいう「大湯屋の大風呂」はどうやら普通の湯船のことみたいです。「社家衆の行水の風呂」ともあるんで、疲れを取るための風呂じゃなくて、宗教的な風呂だったのだと思われます。

穢れと風呂

神社に入る前に手を洗いますよね。あれは俗世の穢れを落とすためのものなんですが、本来は川や海にドボンと入って全身から穢れを落とすものでした。それが簡略化して手洗いになっているんです。そういう儀式に一環として、大湯屋の大風呂があったのでしょう。それが断絶していたのを復活させた。これは棚守房顕が望む「神事の復活」の一つだった。

しかし、風呂に関して寺と神社で揉めた。利用するときの順番でもめた。どっちが先か? 席順でもめた。実は後々に席順で揉める事件があり、それが宮島を揺るがす事件にもなっています。当時は席順はプライドを傷つける大事なことだった。それと、仏教と神道がテリトリー争いをしていた時期だったのではないかなとも思います。それで一両年…一年か二年ほど風呂を炊かなかった。
前のページ…「棚守房顕覚書122 隆元神事祭礼を復旧す
次のページ…「棚守房顕覚書124 房顕風呂を焚かせる

棚守房顕覚書(資料)の一覧

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集