宮島奉行所跡

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宮島奉行所跡

旧宮島役所の前に「宮島奉行所跡」という碑があります。木が邪魔して隠れていて見えないです。
広島藩はこの場所を寛永十二年(1635年)に「奉行所」としていて、明治維新時までは宮島を統括していた。その碑です。
観光スポットとしては弱いです。

アクセス

歴史

宮島町の役場でしたが、廿日市に合併されて、現在は閉鎖中(2018年)。今後はどうなるかわかんないですね。
宮島は自治的地域
江戸時代まではここに「奉行所」がありました。ただし、宮島の奉行は形式的なもので、宮島は「ほぼ自治」されていました。というか厳島神社が自治していました。戦国時代は毛利の部下の佐武がこの奉行屋敷に住んでいました。
大願寺で桂小五郎(木戸孝允=長州藩)と勝海舟(幕府側)が会合するのは、宮島が厳島神社によって自治されている場所で、「中立」だったから。
●奉行は厳島神社の管理下だとまでは言いませんが、ほとんど口出ししない関係だった。

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