宝蔵(厳島神社宝蔵)

MENU
TOP >> 宝蔵(厳島神社宝蔵)宮島 おすすめ度☆☆☆★★ 観光地・名勝 歴史的建造物 厳島神社
スポンサードリンク

宝蔵(厳島神社宝蔵)

厳島神社の宝蔵(厳島の神に捧げられた神宝を管理する場所)。
建築様式桁行2間、梁間1間、校倉造、寄棟造、桧皮葺き。
有名な正倉院と同じ「校倉造(アゼクラヅクリ)」です。
創建1168年の厳島神社の造営記録にはあるのでその時点では既に存在したのは間違いない。
御手洗川の南にありますが、塀に囲まれていて、宝蔵近くに行くことは出来ません。昔は一般公開をしていたらしいです。
神庫とも言われていて、厳島神社に奉納したモノが収蔵されています。正倉院と同じ校倉造で、いい感じに湿度を保つようにできていて、収蔵に適しています。
●建長2年(1250年)に床を焼いて盗賊が侵入し、神宝が盗難にあった。その後修復。
●現在の宝蔵は室町時代に創建し、天正16年(1588年)に毛利輝元が,慶長15年(1610年)に福島正則が修繕しているが、宝蔵自身はそれ以前からあった。
●明応年間(1493年から1500年)に床を焼いて盗賊が侵入し、盗難にあっている。
●江戸時代には参拝して神宝を見学できていた。その時は宝蔵の前に神宝を見る小屋(拝見所)があったが、その拝見所は昭和27年(1952年)の修理の時に取り除かれました。

アクセス

宝蔵の管理者が「棚守」

宝蔵の宝を見るためには「神慮」を尋ねる「くじ」を引かなくちゃいけません。それで神様が「いいよ」ってなれば、お宝を見ることができます。これは権力者でも同じで、明治政府が宝蔵を見ようとしてもこの手順を崩しませんでした。
ちなみに、この宝蔵の宝の管理をする役職が「棚守」です。

御陵橋側からの方が近くに見える
宝蔵の裏の御陵橋側から見ると校倉造がはっきりと分かるほど近くに見えます。
参考御陵橋

仁安年間…平安時代の末の厳島神社の修造時の記録には「三間二面瓦葺宝蔵」という記録があるので、すでにあった。瓦葺ということは「仏教的」なものだったのではないかと思われる。つまり大聖院の管轄だったのかも。

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集