棚守房顕覚書83 陶晴賢と毛利元就・大内氏の後継者

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大内氏の後継者

一、大内義隆は腹を切ってしまいました。大内に人躰がいませんでしたので、陶尾張守(陶隆房=陶晴賢)、杉(=杉重矩)、内藤(=内藤興盛)、弘中三河守隆兼(弘中隆兼)たちは、豊後の大友殿の舎弟の八郎殿(=大友晴英=大内義長)を呼び、大内の家に取り立てました。

解説

大寧寺の変にて大内義隆が死亡。その時、大内義隆の実子である大内義尊も7歳ながら死亡。よって大内義隆の血筋は絶えてしまっていた。そこで大内義隆の姉が大友に嫁いで産んだ「大友晴英」を新たな当主として呼び寄せた。陶隆房のこの謀反は「下克上」の典型例として挙げられますが、こうして大友から、大内の血筋を持つ人物を呼びせたということは、形式だけでも大内の血筋を掲げているので、果たして下克上と言えるのか、ちょっと疑問なんですよね。いや、下克上に違いはないか。
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