棚守房顕覚書76 房顕、参宮・高野詣

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棚守房顕覚書76 房顕、参宮・高野詣

参宮して、高野山へ上りました。
藤ノ坊での一会興行では「所から聞く名も高し時鳥(ホトトギス)」と申しました。神明(=伊勢神宮)では神物は自分のことは申すことなく、屋形(=大内義隆)、陶殿(=陶隆房)の奉書と神馬などを参らせ、言上しました。

棚守房顕が東へ

棚守房顕が東へ。参宮というのは伊勢神宮に参ることだと思われます。そして高野山に登った。高野山といえば、真言宗。厳島神社と関係の深い大願寺大聖院は真言宗なので、そこいらへんと関係があるのかもしれないのですが、大願寺大聖院は清盛の時代以前には天台宗だったハズで、戦国時代のこの時点でも「どの程度の真言宗」かは何とも。

連句の興行

藤ノ坊は宿坊のことではないかと思います。そこで連句の興行があって、そこに参加した。宮島で行われた万句興行に棚守が参加したという明確な記述はありませんでしたが、この様子だと参加したのだと考えていいでしょう。1万の連句をする連歌に参加した棚守からすれば、そこいらへんの連歌興行なんて慣れたもの。多分。

で、伊勢神宮に行って、大内・陶のために参詣し、願いを神に伝えた。この伊勢神宮参詣がこの旅の目的だったのでしょうね。
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