棚守房顕覚書63 卜部兼右の来島

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棚守房顕覚書63 卜部兼右の来島

卜部神主兼右(吉田兼右)は京都から、(大内のいる)三入の御陣に下向してきて、やがて当島(=宮島)に下向してきました。宿坊は大乗坊。すぐに神前で護摩行事を27日執行し、その御祓やその他の神道(の儀式)を少々、神職に相伝しました。上意(=大内の命令)によって、棚守房顕には月次の神事を相伝するべし、と吉田兼右に命じていて、伝えられました。この神事は千貫ほどが必要なのですが、旦那は大内殿なればと、存知し(=自由に)伝えました。吉田兼右は30日ばかり在島しまして、山口に下向しました。

吉田兼右

京都の有名な神道の知識人の「吉田兼右」がやってきました。神前で27日も儀式をして30日在島したってことは、ほとんど儀式しかしてないですね。真面目な人です。これまでの記述だと、宮島へは「女遊び」で来る人が多い中で、そう言う意味では真面目。

儀式の相伝

そして、神道の儀式を厳島神社の神職や棚守房顕に「相伝」した。これは大内の意図であり、同時に棚守の意図でもあった。厳島神社を神社として盛り上げていくためには、吉田兼右(の神道の知識と儀式)が必要と考えたのでしょう。吉田兼右も月次神事を相伝するには千貫必要だけど、「旦那」が大内だからと、無料で教えてくれました。千貫って1貫が25000円とすると2500万円ですよね。なかなかのビジネスマンに思えて仕方ないのですが。
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