棚守房顕覚書48 尼子氏の武器のこと

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棚守房顕覚書48 尼子氏の武器のこと

棚守の存分のままになりまして(=自分の思うようになる)、尼子衆の脱ぎ捨て置いた具足35領、周防の玖珂の小山藤左衛門のところから持参した四方竹(=竹の品種)の槍30本を5貫文とし、35領のこの具足を16貫文として、ヲカヤウ甲十翅(ハネ)、宇野筑後守(=宇野正常=鞍掛山城主=鞍掛山は現在の岩国市玖珂町)に日積の破石(=領地の片割れのこと)を預けた。具足20領、甲10、槍20本、弘中越中守(=弘中正長)へ上進しました。

解説

棚守房顕社家奉行となり、事実上の厳島神社の権力者となりました。それで尼子の軍が置いて言った具足35領を手に入れた。どこから手に入れたのでしょうか、この尼子衆と言うのは宮島を占拠していた友田の衆をさしているのでしょうか。それとも吉田での戦いで大内の配下の陶隆房などが手に入れたものでしょうか。まぁ、宮島を占拠していた友田のことでしょうね。
おそらく同様に宮島での戦いのために山口県の玖珂の小山藤左衛門が持ってきた槍30本をお金に替え、具足35領もお金に替えた。兜10翅(ハネ)を手に入れた。
棚守房顕覚書46 房顕、大内の御師となる」で棚守房顕が大内義隆から貰った「日積の破石」を預けた。まぁ、今は友田が桜尾に立て籠もっているのです。宮島に住んでいる棚守では柳井市の日積の土地があっても管理のしようがないですからね。

具足と槍と兜

別途、具足や兜や槍を弘中正長に贈った。
これは宮島の戦争の中で手に入れたものとは別か同じかは何とも。具足と槍は新調して、兜はそのままに進上したのではないかなと。
棚守房顕としては、大内に勝ってもらわないと困る。友田は棚守が大内の庇護を受けているとは知らないでしょうが、知られれば殺される。そりゃ武器を弘中正長に送りますよね。
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