棚守房顕覚書7 西回廊の消失

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棚守房顕覚書7 西回廊の消失

一、天文6年(1537年)酉の年の大晦日の夜。西の回廊から大黒(現在の大国神社)のあたりまで火事で焼けてしまいました。本願伊予大願寺の覚慶(覚尊)は天文17年(1548年)戌申の年に回廊を建て直しました。

解説

1537年ってことは戦国時代です。ちなみに著者の棚守房顕はすでに生まれています(1494年生まれ)。すでに43歳です。前の「棚守房顕覚書6 鎌倉幕府の神主任命」が承久の乱(1221年)のあたりの話であることを考えると300年の記録とびです。棚守房顕覚書6 鎌倉幕府の神主任命の最後にあった原文の「書き記すに及ばず」というのはこういうことなのかもしれません。

西の回廊

西の回廊というのは西側にある長い回廊のことです。現在の厳島神社の本殿は戦国時代の末1571年に修造したもの。回廊もその前後で修造している(のではないかと思う)。ここで語られている西回廊はそれ以前の話。実は現在の回廊は川の氾濫で土砂崩れが起きて、陸地が増えたために、かなり短くなっています。この時の回廊は現在よりも長い。1.5倍くらいはあったはずです。それが大国神社のところまで焼けたってことは、ほとんど焼けています。これは大事件です。しかも、当時(戦国時代)はコッチが入口でしたから、参拝に支障が出る。

棚守房顕はどう思ったか

火事を記述したのはそれが大事件だったからでしょう。しかし、問題は回廊を大願寺が修造したことにあります。棚守房顕は神主ではありませんが、神社に関わる人物として、どんな風に思ったでしょうか。
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