厳島神社の神は変遷している

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厳島神社の神は変遷している

まとめ
●10世紀には伊都岐島大明神が祀られていた。
●12世紀に海上神殿が収蔵された時もおそらく、伊都岐島大明神が祀られていた。
●戦国時代に現在、祀られている市杵島姫神を含む宗像三女神に変わった。

597年の創建時の神は?

厳島神社は伝承によると597年の推古天皇元年に創建されたとあります。と言っても、神社に伝わる伝承だけで、書物や他の地域の伝承にはなく、照らし合わせることが出来ませんから、「史実」かどうかは分かりません。この時、祀っていた神がなんなのか? はハッキリとは分かりません。

延喜式には伊都岐島大明神

どの神を祀っているのかが、ハッキリと分かるのは10世紀に編纂された延喜式という本です。
この本によると厳島神社で祀っていたのは「伊都岐島大明神(イツキシマダイミョウジン)」という正体不明の神様です。伊都岐島大明神は12世紀に厳島神社を修造した時(一般的に平清盛が修造したとされる)にも祀られていました。
●素直に考えれば597年時の神様も伊都岐島大明神だと思われます。ただし証拠はない。

伊都岐島大明神とは?
平清盛は有名は「平家納経」を神社に納めていて、この平家納経というのは「法華経」なんですね。法華経というのは解脱するお経で「清盛願文」には「厳島神社の神様は悟りを開くように導く」と書いてありますので、伊都岐島大明神は「悟りを開き、解脱を導く」という性質があるようなのですね。でも、後白河上皇が歌った歌には「厳島神社の神様は有名な戦神」ともあるんです。もう、全然真反対です。だから正体不明です。
●当時、伊都岐島大明神が集合していた観音菩薩は「現世利益」の神で、悟りを開き解脱を導く性質とはちょっと違う。

現在祀られているのは市杵島姫神

でも、現在、厳島神社に祀られている神様は「市杵島姫神」を含む「宗像三女神」です。どうして市杵島姫神が祀られる様になったのかというと、戦国時代に京文化が地方へ伝播する中で「伊都岐島大明神って神様、わけわかんない」となり、当時、相殿(現在でいう客神社)に祀ってあった宗像三女神の市杵島姫神が名前が似ていることから、市杵島姫神を祀るようになったのです。それが現在に続いています。
●つまり、正体不明の伊都岐島大明神では、参拝客が増えない!って判断があったわけです。
●明治の神仏分離まで厳島神社の神は弁財天と習合していましたが、これも戦国時代に京都で弁財天信仰が流行っていたため、それを取り入れることで参拝客を増やそうという魂胆があったのだと思われます。

日本人は祀る神を変える

このお話を聞いたあなたは、「え? 神様が入れ替わるの?」と思ったんじゃないでしょうか?
実は日本の神社で神が入れ替わるのは全く珍しくありません。
出雲大社は大国主が祀ってある神社なのですね。古事記にも出雲大社がどうして出来たのか? 出雲大社の神官のご先祖はアメノホヒという高天原から来た神様なんですが、このアメノホヒがどうして来たのか? なんていう出雲の神話が古事記の三分の一という割合で描かれているんですね。そんな歴史のある出雲大社なんですが、平安時代に祀っていたのはスサノオでしたし、江戸時代までは仏塔などがある仏教施設で、神事も廃れていました。それが江戸時代の伊勢参り・熊野詣の大ブームの中で神道が盛り返したのでしょう。大国主がまた祀られる様になっています。

日本人にとって神様は選んでいいものなんです。

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