大鳥居(宮島の厳島神社)

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大鳥居とは

まとめ
●奈良の大仏くらいの大きさ。
●明治の一時期、白い鳥居だったことがある。
●鳥居からが境内。
●太陽と月の紋章がある。
●どうやら大鳥居までが「陸地」だった。平安時代末期の厳島神社造営の際に、神社から鳥居までの土を削って海上神殿した。

大鳥居の大きさなど

両部鳥居という形式。
高さ16.6m。重さは60t。現在で8代目の鳥居。
木材は樹齢500年から600年の楠(クスノキ)を使用。このクスノキを探すのに20年近い歳月を費やした。クスノキは腐食に強く、重いので、古代では船の材料として利用されていました。
●古事記には天鳥船神(アメノトリフネノカミ)の別名に「鳥之石楠船神」があり、船と楠が結びついています。
●楠は日本古来から育つ植物ではなく持ち込まれた植物です。楠は現在は九州に分布が多く、四国・中国・近畿・東海へと進むと分布が減り、山奥には生えず、日本海側には自生していません。

大鳥居からが厳島神社
厳島神社に限らずなんですが、鳥居からが神社の境内です。神社では「穢れ」を嫌います。なので境内では「殺生」は絶対ダメ。また穢れを嫌うので、神社の参拝前に手水舎で手を洗い、口をすすいでください。

大鳥居の秘密1

大鳥居は浜に置いているだけ
大鳥居は浜に埋まっているのではなく、置いているだけ。砂の中に土台があるわけじゃありません。倒れないのは自重と六本の足で支えているからです。倒れないようするテクニックとして、大鳥居の上部分「島木」という箱の中には石が入っていて自重を増すようにしてあります。全体が60tもあるのは石を詰めているからです。
●大鳥居・厳島神社の建築技術は異常。これは厳島神社の謎の一つです。

大鳥居の秘密2

二つの扁額
大鳥居には外側と内側に二つの扁額がつけられています。普通、鳥居に二つの扁額が付いていることはありません。外側…表が「厳島神社」、内側…裏が「伊都岐嶋神社」です。なぜ二つの扁額はかけられているかはハッキリとはしませんが、おそらくは神社の神の変遷が原因だと思われます。

ちなみに現在の扁額は有栖川宮熾仁親王の筆による。それ以前は大内義隆の時代に後奈良天皇の宸筆による扁額だった。その後奈良天皇の扁額は厳島神社宝物館で見られます。

大鳥居の秘密3

白かった鳥居
明治に入り、大鳥居はちょうど建て替えの時期にありました。明治政府は大鳥居が「赤い」のは仏教的だからと「赤はダメ」と通達しました。それで明治初期に建てられた8代目の鳥居は「白」でした。しかし、漆を塗らない鳥居は腐食が早く、白では目立たないので、明治44年には赤く染めなおしました。

大鳥居の秘密4

厳島神社の火焼前(ヒタサキ)から88間にあるとされます。ここでも8にこだわっています。
●平安時代の造営された際に火焼前はなかったので、88間は後付けだと思います。
●8は日本人にとって聖数字です。参考:8が縁起が良い理由

大鳥居の秘密5

大鳥居には東側に太陽、西側に月の紋章があります。陰陽信仰から来ていると言われますがハッキリとしたことは分かっていません。

大鳥居の秘密6

平安時代末期に厳島神社を造営した時に、厳島神社のところから大鳥居までの土を削って海上神殿にしたことが分かっています。平安時代までは大鳥居のところが「海岸」だったと思われます。

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