地御前神社

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地御前神社とは

地御前神社は厳島神社と関係の深いとされる広島県廿日市市地御前の神社。管弦祭では宮島から出発した船が地御前にやってくる。地御前の「御前」は当然、厳島のこと。
住所廿日市市地御前五丁目
広島電鉄「地御前駅」から徒歩5分。
JRからは遠いので広島電鉄に乗り換えて徒歩で。車で行くのは、地御前神社がJRと広島電鉄の線路の間にあるので、地元の人でない場合は、迷うかもしれないです。駐車場はあります。

祭神宗像三女神(=市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)
宗像三女神というのは宗像大社で祀られている神様のこと。厳島神社もこの神を祀っています。地御前神社の場合は、厳島を祀る神社のことですから、「宗像三女神」を祀っているってのは正しい言い方じゃないでしょう。「厳島を祀っているってことは、宗像三女神を祀っているのと同じだよね」くらいの意味です。

アクセス

広電宮島線の地御前駅から徒歩5分。
駐車場があるので車で行くのも可能ですが、広電の線路があって踏切を渡らなくちゃいけない。運転が苦手な人は広電駅から歩いた方がいいです。

外宮と内宮

外宮
地御前神社は外宮(ゲクウ)。厳島神社は内宮(ナイクウ)と言われます。地御前神社は「神聖な島」である厳島には渡れないことから設立された神社!ということになっていますが、最近では厳島に人が住んでいなかったことは「ない」のではないか?と言われていて、地御前神社がどういう役割なのか今は微妙。宮島には謎が多いのです。
●同様の内宮・外宮という呼ばれ方をする神社に、伊勢神宮があります。伊勢神宮には「皇大神宮(内宮)」と「豊受大神宮(外宮)」があり、この二つの神社で「伊勢神宮」な訳です。
●この理屈を採用すると、厳島神社というのは「厳島(内宮)」と「地御前神社(外宮)」を合わせて「厳島神社」だったのでしょう。
●厳島神社と伊勢神宮は日本で唯一「大日如来」を祀るものだというお話が古事談にある。
参考厳島神社と大日如来
●厳島神社と伊勢神宮を同列か、共通点があると考えた時期があったよう。
●地御前神社という名前は明治以降で、それ以前は外宮だった。
●では外宮と呼ばれるようになったのはいつからかというと、それは不明。創建時と考えるのが自然だと思います。

歴史
1168年に平清盛によって厳島神社が現在の海上神殿が修造されました。それと同時に、地御前神社(外宮)も作られました。しかし、地御前神社はこの時、作られた…のではなく、平清盛が修造する前からあり、厳島そのものを拝む神社として存在していたとも。となれば正確には「修繕」なんでしょう。

祭祀

管弦祭 旧暦6月17日
管弦祭は、厳島神社から地御前神社にやってきて、厳島神社へ帰っていきます。
御陵衣祭(馬とばし) 旧暦5月5日
厳島神社は佐伯鞍職が創建に係わったことから推古天皇の時代(593年)以降は佐伯の一族が厳島神社の神主をしていました。しかし、鎌倉時代に承久の乱で佐伯氏が後鳥羽上皇についたことから、佐伯は神主から引き摺り下ろされました。その時に藤原親実が神主になり、しばらく藤原氏が神主となります。

その藤原親実というのが幕府の人間で武士だったのです。まぁ、実際に神主をやっていたのではなく、任じられただけで、実際の仕事をするのは代官なんですよ。だから藤原氏が神主と言っても、その時は、「名義」が変わっただけで変化はありませんでした。
御陵衣祭(馬とばし)
しかし、時代が変わると、藤原氏の子孫は安芸国に住むようになりました。中央ではすでに有力な氏族が跋扈していて入り込む余地が無かったし、安芸国の所領で生活する限り、食いっぱぐれは無いからです。すると武士である藤原の文化を汲んだのか、流鏑馬(ヤブサメ)を神事として取り入れたようです。それが御陵衣祭(馬とばし)です。

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